-第九話「Who Rules」-
昔、レゲエのビックイベントがなかった時代レゲエ者達は何とか自分達の「いこいの場」をプロデ
ュースした。スペースマン中野やその仲間達がキープした「びわこJammin」。SやOが主催した
各パーティーや神戸エリアの「須磨の風」等々が代表だ。
そして、若い世代が手掛けた”Who Rules” これもやはりRiddimPosseがらみでしかも主催
はまたまたキングストンのママことFuckin’Jun。
ここで笑える人は通と呼べる。浪速 ともあれFuckin’Junが須磨で一軒家を借りきってやった
イベントはある意味凄いモノだった。
日本のレゲエシーン東京、大阪Linkイベントで大阪レゲエ者は東京のアーティストをパンダでも
見る様な目で見ていた。(当時パンダは新鮮でとても珍しいものの象徴だった。)
レゲエ自体認知度が低かったのでいたしかなかったのであるが、現在SoundMeetsやClash、
Jamものが年中行われてる環境では考えれないが当時はそんな風であった。
須磨海水浴場の西の端の民家(かなり大きな旧家の家)で浜辺にステージをつくって本当に
良いセッティングだった・・・のだが、いかんせん客はほとんどジャンキーにちかいものが多く、常
にトイレは長蛇の列で時間が経つにつれ、トイレのちかくで倒れとる者が増えていくのだ。
それはたぶんへの影響か若しくはガンジャ初心者であったろうと推測する。ヒッピー系やね。
現在の若い人達には「ヒッピー」と云うてもピンとこないけど根強いでホンマ。
レゲエはジャメイカ以外では本当にヒッピー系が広めた音楽だから仕方がないと思うがジャンキー
は到底あかんわな。そんな客にもめげず、「皮かむり〜 皮かむり〜」とあんまのミラーマンが叫べ
ば横でワケわからん英語をまねた歌のヤンキーがSweetVoiceで場内をSwingさせた。まだ見ぬ
ジャメイカを思う人達にとっても、ジャメイカを知る人達にとってもシチュエーションは120%であった。
バビロンは述べ4回来て、「即時解散」を求めたが最終最後まで努めた。勿論主催のFuckin’Jun
も「Seen」の連発でステージの裏・表で大忙しであった。
京都からはスパイシーM&カーティスフライが、東京からはSistren Honey-Bらが神戸レゲエ者を
釘付けにした。だいたい神戸ではダンスホールスタイルはまだ浸透していなかったからとても新鮮
かつビーチに泳ぎにきていた若者にはとても良いアピールにもなったと思う。たぶん、後かたづけは
相当大変だったであろうと思うほど会場はもりあがり後にも先にもこれで終わってしまったのは残念
だった。その後、Fuckin’Junは獣医になると勉強し、なぜか英語もやりたいとNYへ行ってしまいま
した。この頃のレゲエ者は私を含めて、ジャメイカンアーティストを生で見たり、色々とイベントを成功
させていくのだがどうしても本当のジャメイカを知らないと云うジレンマに悩まされ、海外へ発っていく
のであった。ちなみにこのイベントは私がジャメイカから帰ってきた年の夏だった。